佐々木 清(ささき きよし) 


 昭和32年生まれ(1957年)生まれ  おとめ座のA型

◎出生時〜満3才まで東京・池袋(旧・日之出町〜現東池袋4丁目)で過ごす
。
◎妹(1960年生まれ)が出生したころ、埼玉県与野市へ引越し

◎昭和38年(1963年)4月、むつみ幼稚園入園 この年はある意味、激動の年。ケネ

ディ大統領暗殺、(生まれてはじめて知った外国の偉人)、プロレスラー、力道山の

死、吉延ちゃん誘拐事件など、当時の6才の目からみても記憶に残る事件の多い

年・・・反面、子供には嬉しい「鉄腕アトム」「鉄人28号」「エイトマン」「狼少

年ケン」など、国産TVアニメが続々開始された年でした。同年11月、1年遅れの

「七・五・三」のお祝いで大宮氷川神社へ行く。改めて写真を見ると、当時(1963

年)としてはかなりお洒落なファッション。紺のメロン帽に黒エリのダブルのスーツ

上下、白ワイシャツに白タイツ、赤の蝶タイ・・・着ていた本人は全く意識してない

が、スーツの上着を着せてもらったときの「ツルン」とした感触はハッキリ覚えてい

る。


◎昭和39年4月 浦和市立上木崎小学校(当時はまだ与野は「市」になっておら

ず)入学。教室の黒板に書かれたイラストが印象に残る。遠足(春と秋に二回あっ

た)運動会、映画鑑賞会(教育映画が多かったがなんといっても最大の楽しみは東映

の長編アニメ映画だった。春は「わんぱく王子の大蛇退治」、秋は「わんわん忠臣

蔵」、モノクロTVの時代、カラーの大画面はまさに衝撃的!この年最大のハイライ

トはなんと言っても「東京オリンピック」だろう。「東洋の魔女」こと女子バレー

ボールチーム、重量上げの三宅義信、レスリングの金メダル五人(フリーの渡辺、吉

田、上武、グレコの花原、市口(私の大学時代の恩師です)ボクシングの桜井康夫…

なんといっても,最後はマラソンのアベベビキラ、そして円谷幸吉のち悲劇の主人公

となった二人のマラソンランナーの姿が脳裏に焼きついている。当時男の子に大人気

だった番組は「忍者部隊月光」(金曜の午後7:00〜7:30)だった。オープニング

の「バカ!打つやつがあるか拳銃は、最後の武器だ!俺達は忍者部隊だ!」のセリフ

が有名


◎昭和40年2月 埼玉県与野市から東京都北区赤羽に引越し小学校も上木崎小から

第四岩淵小に転校以後10年間赤羽で過ごす。(高三の秋まで以降は埼玉大宮に在住


◎昭和45年(1970年)4月北区岩淵中学校入学 この年はなんと言っても「大阪万国

博」の年、不思議なことに小学校入学時には「東京オリンピック」中学入学時は「大

阪万博」と国際的なイベントと重なる。丁度この頃TVCMで「指圧の心 母心 押

せば命の泉涌く!結構ですなハッハッハッとしゃべっている面白い伯父さんが居た…

何か「大黒様みたいな顔のオジサンだな」思っていた自分。そうこれが「浪越徳次

郎」先生との初の出会いだったのだ。10数年後再び指圧学校で出逢う事など予想して

いなかった頃である。(ちなみに中学の先輩にピンクの衣装で有名な「林家パー子」

さん」がいる)


◎昭和48(1973年) 文京区白山のある「京北高校」に入学。レスリング部にはいって

本格的運動始める。毎日毎日学校体育館一階にある道場で練習練習の日々。休みなん

て年に数回あるだけ…何せ京北のレスリング部インターハイで2回団体優勝したこと

もある名門なのだ。この頃浪越先生が衆議員に立候補したことを知る。(結果は落選

…)翌昭和49年(1974年)ミスタープロ野球長嶋茂雄が「我が巨人軍は永久に不滅で

す!」の名台詞を残して引退。この頃映画「パッチギ」を地で行く様な国士舘高校と

朝鮮高級学校との新宿駅大乱闘が新聞の社会面を賑わす。


◎昭和51年(1976年)

東海大学体育学部社会体育学科入学。同期に柔道の山下泰宏がいた。(スキー合宿で

いっしょになった事もある)

一学年下に巨人軍の原辰徳監督がいる。(彼を初めて大学の学食で見た時の印象はハ

ッキリ覚えている。)大学4年(1979年)学園祭で林家三平師匠のナマ落語を聞

けたこと…(師匠はこの一年後(1980年9月)に亡くなっているので貴重だ!)も

想い出の一つ。大学時代の勉強も指圧をやるうえでプラスになった。


◎昭和61年(1986年)」日本指圧学校入学 入学試験の時初めて徳次郎先生に生で出逢

う。A組での中村秀治先生との出逢い… 以来23年間現在に至るまでの絆の始まりで

ある。同年9月中村先生の紹介もあって川越街道沿いにあった「アサノサウナ」へ修

行もかねて働き始める。ここには10年間お世話になった。平成8年(1996年)10月

からは朝霞台指圧センター専任となる。以来13年間、現在に至るが自身の両親(父

は1998年6月14日、母は2007年6月25日)をはじめ、中村秀治先生(2009年3月16日)、

浪越徳治朗先生(2000年)、浪越徹先生(1996年)、アサノサウナの浅野新次社長

(2000年)など身近な方々が逝去した事に改めて驚く、「命あっての物種」(何事も

命あってのこと)を痛切に感じる昨今です。以上が私自身のプロフィルです。


◎性格分析

1)凝り性 一つのジャンルに興味を持つとトコトン追求するクセ有(最近はドラマ

「三年B組金八先生」の研究に没頭してマス)

2)少々楽天家的〜何事も自然の流れにまかせてしまう方(母方の伯父の影響がある

かも・・・)

3)話し好き(これは父方、母方、両方に言える事、両親は共に長野県飯田市の出身

’伊那地方)双方の伯父、伯母、皆話し好きなタイプが多い(従兄弟も同様)

4)自分で勝手に考え込むクセ有(妹によく注意される・・・)

5)常に第3者的な物の見方をする

6)他人の動作、仕業をみる事が多い(バス&電車の中で今現在の人々の心理面や流

行がよく見え指圧治療の参考にもなる))

7)妙に記憶力だけはいい(?)


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